1. なぜゲイバーに足を踏み入れたのか
誰かと話したい夜がある。
でも、誰とも話したくない夜もある。
その夜の僕は、ちょうどその中間にいた。
仕事を終え、帰り道の駅のホームで、ふと「誰かの声が聞きたい」と思った。
けれど、友人には気を遣わせたくなかった。家に帰れば静かな部屋が待っている。
そんなとき、頭に浮かんだのが「ゲイバー」という場所だった。
SNSで名前だけは見たことがあったけれど、行ったことは一度もない。
「40代で初めてなんて、浮かないだろうか」
そう思いながらも、どこかでずっと気になっていた。
正直、僕は自分がゲイであることを公にはしていない。
恋愛も長くしていない。
“このまま歳を取っていくのかな”と、心の奥でぼんやり感じていた。
あの夜は、そんな自分に小さな風穴を開けたくなったのかもしれない。
スマホで「新宿二丁目 ゲイバー 初心者」と検索して、番上に出てきた店の名前をタップした。
2. 初めての空気に包まれて
小さな階段を上がり、ネオンの光が漏れる扉を開けると、ふわりとウイスキーの香りと笑い声が流れ込んできた。
カウンターの奥では、年上らしきマスターが優しい笑顔を向けてくれた。
「いらっしゃい、初めて?」
その言葉に、少し救われた気がした。
常連らしき人たちは僕をチラッと見ただけで、また自然に会話へ戻っていく。
誰も詮索しない。
その“放っておいてくれる感じ”がありがたかった。
グラスを片手に隣の人と軽く会話を交わす。
緊張しながらも、どこか安心していた。
「この空間には、飾らない自分でいていい」と感じた。
ふと目をやると、マスターが丁寧に磨いていたグラスが光を反射していた。
その透明さが、どこか心に響いた。
※ちなみにこの夜使っていた香水は、楽天市場で見つけた小さなボトル。
「夜に似合う香り」を探して買ったばかりだった。
自分の背中を少し押してくれるような、ささやかな“お守り”だった。
3. 他人の話を聞くうちに見えてきた「自分」
しばらくすると、隣の席の男性が話しかけてきた。
「初めて? 俺も最初、緊張したよ」
その人は50代後半くらい。穏やかな声だった。
「若い頃は“こうあるべき”って思って無理してたけど、ここに来ると、そういうのどうでもよくなるんだよね」
その言葉が妙に胸に響いた。
会話の輪が広がるうちに、仕事の愚痴、恋愛の話、老後の不安──
それぞれの人生が交差していった。
誰もが何かを抱えて、笑いながらここにいる。
そして気づいた。
僕はこれまで“普通のゲイ像”に自分を合わせようとしていたのかもしれない。
華やかでもなく、話上手でもない自分を、どこかで否定していた。
でもこの場所では、誰も“どうあるべきか”を語らない。
ただ、お互いの話を聞いて、笑って、頷くだけ。
そのシンプルさが心地よかった。
4. “自分らしさ”とは何かを考えさせられた夜
深夜に差しかかる頃、
少し派手な服装の若い男性が入ってきた。
周りが軽く声をかけると、彼は明るく笑って「やっほー」と手を振った。
その姿を見ながら、僕は思った。
“自分らしさ”って、人と比べて見つかるものじゃない。
自然に笑えているとき、安心できる人たちといるとき、きっとそれが「らしさ」なんだろう。
マスターが僕に言った。
「ここはね、誰かになろうとする場所じゃないの。
そのままでいいって、思える場所なんだよ。」
その一言が、あの夜のすべてを物語っていた。
5. ゲイバーで学んだ、人との距離感と優しさ
ゲイバーは、人との距離感を教えてくれる。
近すぎず、遠すぎず。
深い話をしても、翌日にはお互いの生活に戻っていく。
それなのに、なぜか温かい。
「人とのつながりって、形じゃなくて“空気”なんだな」と思った。
常連の一人がこう言った。
「ここはさ、“恋愛”だけじゃなく、“関係”を育てる場所なんだよ。」
それを聞いて、僕は少しだけ目頭が熱くなった。
※あの夜帰り道で、スマホを開いて見つけたのが「イククル」だった。
“恋愛じゃなくても、誰かに話したい夜に”という言葉に惹かれた。
きっと、こういう繋がり方もあるのかもしれない。
6. 日常に戻っても消えなかった気づき
翌朝、いつも通り会社へ向かう電車の中で、昨日の夜の会話がふと頭をよぎった。
なんだか、肩の力が抜けていた。
周りの人々の会話や車内アナウンスさえ、どこか柔らかく聞こえた。
「世界って、こんなに優しかったっけ」と思った。
心の奥で小さな変化が起きていた。
自分を嫌うより、少しでも許してみようと思えたのだ。
そして気づいた。
“自分を受け入れること”は、“他人と関わること”と同じくらい難しくて、でも大切なこと。
※その後、僕は少しずつ外の世界にも目を向け始めた。
ハッピーメールで同じような趣味を持つ人とメッセージを交わしたり、マリッシュで「年齢を重ねた恋愛」を語る人と出会ったり。
どれも“誰かと話したい”という気持ちの延長だった。
「出会い」は恋だけじゃない。
“自分を映す鏡”として、誰かの存在がある。
7. 「自分を知る」ことは、誰かと関わること:
あの夜から、僕は何度かゲイバーに足を運んでいる。
いつも同じカウンター席に座り、マスターと軽く世間話をする。
時々、新しい誰かと出会う。
でも、もう「浮かないだろうか」とは思わない。
むしろ、あの空間があることで、日常が少し優しくなった。
※最近、プロフィール写真を新しくしてみた。
Photojoyで撮ってもらった1枚だ。
“他人に見せるため”ではなく、“自分を認めるため”の写真。
鏡の前で笑ったとき、少しだけ“今の自分”を好きになれた気がした。
誰かと関わることで、自分を知る。
自分を知ることで、他人にも優しくなれる。
そんな循環が、この世界にはちゃんとある。
ゲイバーは、僕にとって“鏡”のような場所だった。
そこに映っていたのは、
「欠けた自分」ではなく、「生きている自分」だった。
おわりに
誰かに理解されたい夜があるなら、
静かに話を聞いてくれる場所を探してみてください。
それがゲイバーでも、アプリでも、オンラインでもいい。
「誰かと話す」ことは、「自分の心を少し開く」こと。
あなたが思っているより、世界は優しいです。
きっと、あなたにも“帰れる場所”が見つかります。
