はじめて“好き”になったのは、同性の友達だった
あれは中学生の頃。
クラスの人気者だった同級生の笑顔を見たとき、胸が少しざわついた。
「どうしてこんなに見ていたいんだろう」
その気持ちの正体を、当時の私はまだ知らなかった。
彼と話すたび、うれしくて。
でも、その気持ちを自覚した瞬間、心の奥で小さな“怖さ”が生まれた。
──「男が男を好きになるなんて、おかしいよな」。
誰にも言えない。
友達に話せば、笑われるかもしれない。
家族に話せば、悲しい顔をされるかもしれない。
そんな想像ばかりが頭の中を支配していった。
やがて私は、気づかれないように「普通のフリ」を覚えた。
女の子と話すときは、意識して明るく振る舞い、恋愛の話題になれば「俺もあの子、かわいいと思う」と合わせた。
でもそのたびに、心のどこかが少しずつ擦り切れていった。

誰にも言えなかった“怖さ”と“孤独”
大人になるほど、「隠すこと」に慣れていった。
大学でも、社会人になっても、誰かに恋をしても、「言えない」という壁が、いつも自分の前に立ちはだかった。
周りは結婚や恋愛の話で盛り上がる。
同僚の「彼女がさ」という何気ない一言が、まるで自分が“異物”のように感じさせた。
夜、帰宅して部屋にひとりになると、その静けさが胸に刺さった。
「自分は、何か間違ってるのかもしれない」
「普通じゃない自分が、悪いのかもしれない」
そんな言葉が、いつも心の中でこだまする。
SNSで同性カップルの投稿を見ても、「自分には関係ない世界だ」と距離を置いていた。
でも本当は、あんなふうに笑ってみたかった。
堂々と、誰かを“好き”と言ってみたかった。
自分を否定し続けた日々
「この気持ちはなかったことにしよう」
そう思って、恋愛そのものを遠ざけた時期もあった。
誰かに惹かれても、「どうせ上手くいくはずがない」と自分から引いてしまう。
恋心が芽生えるたびに、ブレーキをかける。
“恋愛”が、私にとっては“恐怖”とほぼ同義だった。
いつの間にか、“本当の自分”を隠すのが当たり前になっていた。
笑顔も、言葉も、服の好みさえも、「誰かの期待に合わせて」選んでいたように思う。
そんな自分に気づいたのは、40歳を過ぎた頃だった。
心の奥にぽっかりと穴が空いていることを、ようやく認めざるを得なくなった。
『私らしさ』を受け入れた瞬間
転機は、ある夜の読書だった。
ふと手に取ったLGBTQ関連のエッセイに、“同性愛は特別なことではなく、あなたの一部に過ぎない”
という一文があった。
その言葉を読んだ瞬間、胸の奥に、温かい涙が込み上げてきた。
「自分を責めなくていい」
そんなシンプルなメッセージが、何十年も閉ざしていた心の扉をそっと開けてくれた気がした。
📚 自分を受け入れるヒントをくれたのは、楽天で見つけた一冊だった。
「生きづらい」を抱える人たちの声を集めた本。
自分だけじゃないと思える瞬間が、心を少し軽くしてくれる。
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それから私は、自分の中の「好き」という感情を否定しないことにした。
誰かを好きになる──その自然な気持ちは、“普通”とか“異常”とか、そんな言葉では測れないものだとわかった。
同性愛という言葉に救われた日
ある日、SNSで“同性愛者のコミュニティ”を見つけた。
半信半疑で覗いてみると、そこには
私と同じように悩んで、迷って、それでも生きている人たちがいた。
彼らの言葉を読んでいるうちに、「自分を隠さなくてもいい場所がある」と知った。
同性愛という言葉を、初めて“肯定的に”受け止められた瞬間だった。
🌈 そんなとき、思い切って登録したのが「ハッピーメール」だった。
“出会い系”という言葉に抵抗があったけれど、同性の登録者も多く、安心して使えた。
たとえ恋愛までいかなくても、誰かと話せることが救いになる。
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💞 もう少し真剣に、長く一緒にいられる人を探したいと思ったとき、「マリッシュ」に登録した。
プロフィールには正直な気持ちを書いた。
“自分を受け入れてくれる人がいるかもしれない”
そう思えた瞬間、世界が少しだけ広がった。
→ マリッシュで見る
自分を表現するということ
誰かに“見てもらう”ことが、こんなにも怖くて、でも、同時にこんなにも癒されるとは思わなかった。
📸 Photojoyでプロフィール写真を撮ったとき、カメラの前で初めて「僕らしい表情」ができた気がした。
無理に笑わず、自然なままで。
自分を隠さない写真が、少しずつ自信を取り戻すきっかけになった。
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自分を受け入れることは、他人を拒絶することではなく、「ようやく自分の味方になれた」ということなんだと思う。
“普通じゃない”という言葉を、手放す
昔の私は、“普通”に執着していた。
普通の恋、普通の家庭、普通の生き方。
でも、その“普通”が自分を苦しめていたことに気づいた。
「普通」って、誰が決めるんだろう。
誰かの基準に合わせるより、自分の幸せを自分で定義してもいいんじゃないか。
そう思えるようになってから、心が少しずつ軽くなった。
いまも時々、不安になることはある。
だけど、もう自分を責めることはない。
同性を好きになる自分も、ひとりの人間として愛を求める私も、
どちらもちゃんと「私」だから。
あなたへ──“自分を知る”ことから始めよう
もし今、あなたが
「自分を受け入れられない」「誰にも話せない」と感じているなら、
焦らなくていい。
私も長い間、同じ場所に立ち止まっていた。
でも、“自分を知る”ことを少しずつ始めてみてほしい。
好きな音楽、好きな服、好きな人。
そのすべてがあなたの一部だ。
同性愛であることは、“特別”でも“異常”でもない。
あなたがあなたとして生きるための、ひとつの個性にすぎない。
一歩を踏み出すことが怖くても、その先にはきっと“同じ痛みを知る人”が待っている。
そして、あなたを理解しようとする人が、世界のどこかに必ずいる。
だから、どうか諦めないで。
「普通になりたい」ではなく、「自分らしく生きたい」と願うことから、
あなたの本当の人生が始まる。
終わりに:
かつての私は、“自分を否定することで生き延びてきた”ようなものだった。
でもいまは、“自分を受け入れることで生きている”と感じる。
恋愛も、孤独も、すべては「自分を知る旅」の途中なのだと思う。
そして、この旅を続けるうちに気づいた。
“普通になれない”苦しさの正体は、
本当は「自分を愛していなかった」ことだったのだと。
あなたも、あなたのままで、きっと大丈夫。